二丁目劇場・baseよしもとから5upよしもと・漫才劇場までの吉本の若手専用の劇場を振り返る

二丁目劇場・baseよしもとから5upよしもと・漫才劇場までの吉本の若手専用の劇場を振り返る 大阪でのお笑いの楽しみ方
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ダウンダウンを生んだ心斎橋筋二丁目劇場や、千鳥や麒麟を生んだbaseよしもとなど伝説を残す大阪の若手所属の劇場は現在「よしもと漫才劇場」として各地にも増えてきています。

ここでは、大阪の若手劇場の歴史について振り返りたいと思います。

心斎橋筋二丁目劇場からよしもと漫才劇場までの所属の芸人やコンビ、番組などを含めて振り返りたいと思います。

気になるポイントだけ見たい方は、目次のリンクから直接移動しても大丈夫です。

それでは紹介していきましょう。

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大阪よしもとの若手劇場の歴史

まずは、大阪よしもとの若手劇場を時系列を画像にしてみました

以上のような系譜となります。

10年以上あった劇場としては、心斎橋筋二丁目劇場とbaseよしもとの2つがあります。

エピソードとしても多く語られることの多いので二丁目劇場とbaseよしもとです。

心斎橋筋二丁目劇場は当初漫才禁止の劇場だった

1986年5月16日に誕生したのが心斎橋筋二丁目劇場です。

元々は南海ホールという劇場で、大阪NSC1期生がイベントなどを開いていた場所でした。

吉本興業が運営元を買い取り、心斎橋筋二丁目劇場となりました。

ダウンタウンを売り出すために劇場で「4時ですよ~だ」を放送

ダウンタウンやハイヒール、トミーズなど今も活躍するコンビが若手として出演していました。

当初は、なんば花月との差別化として漫才禁止というルールもあったそうです。

心斎橋筋二丁目劇場が一躍人気となったのが、87年にスタートした帯番組「4時ですよだ」です。

素人参加番組としての要素も高く、山田花子やチャンス大城なども素人時代に出演していました。

心斎橋筋二丁目劇場で中心的存在だった大阪NSC1期生については大阪NSC1期生も大御所に」で詳しく紹介しています。

千原兄弟がトップの時代は、バンドも出演していた

90年代からは千原兄弟などが中心となり、公演が行われていました。

1992年ごろからは、バンドも一緒にライブを行っていました。(dynamite maker、So What?、今週の山田太郎など)

1995年には「すんげー!Best10」などの番組などで再び二丁目劇場ブームがやってきています。

千原兄弟以下は、ジャリズム、メッセンジャー、中川家、シェイクダウン、水玉れっぷう隊(現新喜劇座長アキのコンビ)なども活躍していました。

そして1999年3月に、老朽化に伴い閉館となりました。

跡地は、WEGOやマツモトキヨシの入るShinsaibashiGATEビルに

跡地は、吉本興業ビル心斎橋1号館ビルとして建て替えられました。

現在ではWEGOやマツモトキヨシの入るShinsaibashiGATEビルとして残っています。

baseよしもとでは、陣内智則・FUJIWARA・千鳥・かまいたちなども活躍

二丁目劇場閉館後に1999年9月になんばグランド花月(NGK)前のYESビルに地下にあったTSUTAYA跡にできたのがbaseよしもとです。

サマースマイルという野外ライブも開催

2002年と2003年に3万人動員のライブ「base SUMMER SMILE」が大阪南港で開催された。

芸人が既存の曲を歌うなどのライブ形式で2回開催されました。

「紳助の人間マンダラ」の企画で誕生したキングコング・ロザン・ランディーズのユニット「WEST SIDE」や、

2丁拳銃・マジ歌選手権でもおなじみのフットボールアワーなどはオリジナルの楽曲を披露していた。

2003年のbase SUMMER SMILEでは、トップの大半の芸人が卒業して、うめだ花月へ所属となりました。

その後、活躍したのが笑い飯・麒麟・千鳥の現在テレビでも引っ張りだこの3組をトップとして、ダイアンやかまいたちなども輩出する劇場となりました。

現在は、NMB48劇場になっている

baseよしもとは2010年12月で閉館後、2011年1月1日からアイドルグループ「NMB48」の常設劇場として生まれ変わった。

2023年現在もNMB48劇場として運営されており、baseよしもとより長期に存在する劇場となっている。

うめだ花月では、芝居なども行われていた

2003年に卒業したbaseメンバーの次の拠点となったのが「うめだ花月」です。

場所は、曽根崎新地の入り口にあるビルの地下です。

当初は吉本印天然素材と同様のユニット「フルーツ大統領」(小藪千豊・COWCOWなども所属)が中心的に出ていましたり、映画を上映していたりいた。

一時期は、小演劇中心の劇場「rise-1シアター」に生まれ変わりました。

そこで培った演劇の要素を取り入れ2003年に新たに生まれかわったのが「うめだ花月」です。

通常の公演では6組の芸人による寄席と新喜劇とは違った要素の芝居を行う「芝居もん」が行われ、小演劇界からも脚本や客演も招かれていました。

京橋花月は3年という短命に終わる

うめだ花月と入れ替わりで誕生したのが京橋花月

京阪電車との協力体制のもとに「KiKi京橋」というビルに誕生しました。

公演の形式としては現在の祇園花月の形式に似ていて、昼は寄席を夜はユニットライブや単独ライブ、トークライブなどさまざまな形式のライブを行っていました。

昼の客入りが悪いことやテナントの契約期間の問題もあり、3年で劇場の幕を閉じる。現在は大衆演劇の芝居小屋として運営されています。

ワッハ上方演芸ホールが5upよしもとに

2010年12月にbaseよしもとが閉館とともに、2009年に上方演芸資料館・ワッハ上方の運営をめぐる移転問題が大阪府と吉本興業の間で起こっていました。

移転問題との関連性は不明だが、ワッハ上方にあった演芸ホールを2011年1月より若手の劇場「5upよしもと」として生まれ変わり再スタートを切りました。

なお、ホール以外のワッハ上方の施設は現在も同じ場所に残っている。

5upよしもとでは、見取り図・男性ブランコ・霜降り明星・バンビーノ・コロコロチキチキペッパーズ・ゆりやんレトリィバァなどが出演していた。

5upよしもとから現在の「よしもと漫才劇場」になる

2014年12月、中田カウスを会長とする「上方漫才協会」が設立された。

発足と当時に5upよしもとが上方漫才協会の劇場として「よしもと漫才劇場」として生まれ変わった。

「あちこちオードリー」では、この方針に危機感を感じて東京の進出したというエピソードを男性ブランコが語っている。

「あちこちオードリー」はU-NEXTのParaviコーナーで過去作も観ることができます。

よしもと漫才劇場については、別に記事でも紹介しています。

まとめ

ここまで、大阪よしもとの若手の劇場を振り返ってきました。

ダウンタウンを売り出すために誕生した心斎橋筋二丁目劇場。

伝説的番組「4時ですよーだ」で一時代を築きました。

その後も千原兄弟を中心にしたワチャチャライブ世代のジャリズム、メッセンジャー、中川家、シェイクダウンなどの実力派コンビを輩出しました。

1999年に閉館後は、なんばグランド花月向かいのbaseよしもとを若手の拠点として陣内智則、FUJIWARAなどが活躍しました。

経歴の長い芸人は、2003年に「うめだ花月」を拠点として活躍します。

バッファロー吾郎やケンドーコバヤシ、矢野兵動などのコンビか活躍しました。

2008年からは「うめだ花月」を閉館し、「京橋花月」を誕生させました。

京橋花月は客入りが悪く3年で閉館となりました。

baseよしもとのメンバー刷新後は、千鳥、笑い飯、麒麟、ダイアンなどが活躍し、NMB48劇場となる2011年まで案内されました。

2011年から、baseよしもとのメンバーは同じビルの5階にあったワッハ上方演芸ホールを「5upよしもと」として若手の拠点としました。

2014年に「上方漫才協会」という団体設立に伴い、「5upよしもと」は「よしもと漫才劇場」として生まれ変わりました。

2023年現在は、よしもと漫才劇場は、大阪難波だけでなく東京の神田神保町や大阪城公園にも誕生しています。

よしもと漫才劇場については、「よしもと漫才劇場(大阪難波)のアクセスや座席は?チケットやスケジュールの確認方法は?」で紹介しています。

よしもと漫才劇場の芸歴7年目以下のkakeru翔ライブについては、「翔ライブのメンバーは?よしもと漫才劇場)とは芸歴7年目以下の若手ライブ!メンバーは?座席指定は?

にて紹介しています。よしもと漫才劇場に行ってみたい人はあわせてチェックしてみて下さい。

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