吉本興業で若手専用の劇場という認識ができたのはNSCができた当初までさかのぼります。
ダウンタウンやナインティナイン、FUJIWARA、NONSTYLEやウーマンラッシュアワーなど
数多くの芸人を生み出した若手専用の劇場の変遷をたどっていきます。
心斎橋筋二丁目劇場
1986年かつて南海による運営だった劇場を吉本が運営することにより誕生したのが心斎橋筋二丁目劇場です。
NSC1期生であるダウンタウンやハイヒール、銀次・政二(何人トリオの前田政二)などが活躍しました。
大阪ローカルの夕方の伝説的な番組「4時ですよ~だ」などの収録も行われていました。
その後も、ベイブルース、トゥナイト(なるみ)、千原兄弟、ジャリズム(桂三度・世界のナベアツ・オモロー山下)やメッセンジャー、中川家などが二丁目劇場から活躍していきました。
baseよしもと
二丁目劇場閉館後にNGK前のYESビルに地下にあったTSUTAYA跡にできたのがbaseよしもとです。
FUJIWARAや陣内智則、2丁拳銃(ヘドロパパ)などを中心に
バッファロー吾郎・野性爆弾・キングコング・ランディーズ・ロザンなどが活躍。
初期のメンバーは卒業後うめだ花月で活動の場を移します。
その後も、麒麟やNON STYLE、千鳥、ジャルジャル、ウーマンラッシュアワーなどが中心となり劇場は盛り上がりを見せました。
NMB48劇場を同じ場所に設営のため場所をビルの5階に移し「5upよしもと」として再始動しました。
うめだ花月(うめだ花月シアター・rise-1シアター)
曽根崎新地の入り口にあるビルの地下にあったのがうめだ花月です。
当初は吉本印天然素材と同様のユニット「フルーツ大統領」(小藪千豊・COWCOWなども所属)が中心的に出ていましたり、映画を上映していたりいた。
一時期は、小演劇中心の劇場「rise-1シアター」に生まれ変わりました。
そこで培った演劇の要素を取り入れ2003年に新たに生まれかわったのが「うめだ花月」です。
通常の公演では6組の芸人による寄席と新喜劇とは違った要素の芝居を行う「芝居もん」が行われ、小演劇界からも脚本や客演も招かれていました。
京橋花月
うめだ花月と入れ替わりで誕生したのが京橋花月。
京阪電車との協力体制のもとに「KiKi京橋」というビルに誕生しました。
公演の形式としては現在の祇園花月の形式に似ていて、昼は寄席を夜はユニットライブや単独ライブ、トークライブなどさまざまな形式のライブを行っていました。
昼の客入りが悪いことやテナントの契約期間の問題もあり、3年で劇場の幕を閉じる。現在は大衆演劇の芝居小屋として運営されています。
5upよしもと
baseよしもとができたビルの5階に当初からあった大阪市立上方演芸資料館の大阪市による運営見直しにより吉本が運営を委託され、そこにあった演芸ホールをリニューアルする形で誕生させたのが「5upよしもと」です。
ジャルジャルやモンスターエンジン、スマイル、天竺鼠やかまいたち、バンビーノなどがかつて在籍していた。かつてのbaseほどの人気が獲得できなかったことや、
中田カウスが会長を務める上方漫才協会が発足されたことをきっかけに場所は同じであるが「よしもと漫才劇場」として生まれ変わる。
よしもと漫才劇場
2014年12月に発足された吉本興業に所属する芸人を中心に結成された団体「上方漫才協会」の後援をもらい設立された劇場。
もともとはワッハ上方演芸ホールであったが、上方演芸資料館の民営化やNMB48劇場新設のために吉本の若手専門の劇場5upよしもとを経て誕生した。
現在は夕方・夜間のみが若手の時間として扱われ、土日祝の昼間は「よしもと漫才ライブ」としてベテランから若手までの漫才と新喜劇などが楽しめるライブも開催されている。
また吉本芸人が全国ツアー時の大阪会場として使用される場合や、ザ・プラン9リーダーのお~い!久馬によるコントライブ「月刊コント」なども開催されている。
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